ザハのコンペ案がそのまま進んでいれば、と改めて思うが、、
でもまあ隈さんのデザインであれば、そうそう見れないものにはならない
だろうとも思う。木材を多用した細部まで気の行き届いた意匠で、そつな
くまとめられるであろう。
けれども同じ理由で不安もある。隈さんは作品によって建物のプログラ
ムと木質デザインのリンクの度合いにムラがある。繊細なディテールがそ
のまま全体を構成していくような素晴らしいものもあるが、付加的な化粧
材にすぎないものもある。新国立はおそらく後者の要素が強い部類と推測
される。(ただ、屋根トラスの木架構の詳細がまだ見えてこないので、そ
れに期待ではあるが。)例えば、ローマのコロッセウムの様に千年を経た
時に、木製部分は朽ち果て、見るべきものが残っているだろうか?(スタ
ジアム部分は、ザハの構成がそのまま?らしいので、未来の人が見たら新
国立はザハの設計という事になっているかもしれない!?)
ところで、磯崎さんが朝日新聞で、コンペ後の日本のドメスティックな
社会組織における騒動の中で異端者であるザハは排除された、という旨の
事を言っていた。なるほどその通りだと思う。そうして出来レースに担ぎ
出されたのが隈さんという訳で、いかにもな人選。隈さんは権力との距離
感が上手い人という印象があって、政府系にもメディアにも受けが良い。
ポストモダン期の奇をてらったデザインから「和」風にスマートにシフト
して、その収斂がオリンピックのナショナルスタジアムというのも嵌って
いる。
しかし、木を繊細に使ってりゃあ和風なのかというのもあるし、`ナシ
ョナル‘スタジアムが(ベタな)和風である必要があるのかというのもある。
一連の日本「ムラ」社会の騒動の帰結が、情緒的な和風で取り繕われると
したら、なんだかなあ、と。後は「祭り」に向かう熱気で忘却、、
とりあえず詳細なデザインと隈さんの設計主旨を待とう。安倍首相の
「美しい国、日本」が誤解され易い様に、本筋は違う所にあるのかもし
れない。
あと、磯崎さんの安保法案成立を絡めた批判は筋違いだよなと思う。
それにザハという異端の外圧でもどうにもならなかった「伏魔殿」に対
し、何かしら力を持ちえた日本の建築家もいなかった、、
PS.聖火台が無いと問題になっているが、スタジアム全体を聖火台にして
しまえばよいと思う。フィールド上部の空洞に周囲を取り囲む屋根からワ
イヤーを(多くのスタジアムにはリモートコントロールのテレビカメラが
動くワイヤーケーブルがあると思うので同様に)掛け渡し、ガス管を沿わ
せて先端に小さなコックと点火装置を付けておけば、空中に浮かぶ聖火の
出来上がり。繊維材の屋根及び木製のトラス材とは延焼の恐れのある距離
以上に離れている。
もしくは、大きな聖火が一つあるのではなく分散した無数の小さな聖火
が集合するのもありかと。確か「杜のスタジアム」として将来的に建物が
木々で覆われるという提案だったので、周囲には植栽のスペースが確保さ
れているはずである。そこにひとまず植栽の代わりに聖火灯を設置すれば、
バースデーケーキのロウソクの様にスタジアム全体を照らしだすだろう。
参加国・地域の数だけ(百数十本)国旗掲揚ポール兼用で灯す。オープンフ
ァイヤーで延焼が問題になるなら街燈のようにガラスで囲ったデザインに
してもよい。(耐火透明ガラスもある)。