・Session!2016新潟建築卒業設計展と、並行して開催される新大建
築学科のOB会に行ってきた。
・まず卒業設計展。自分の一番評価は工科大の学生の死刑因の独房を
街の中に配置する作品。死刑因68人分のストーリー設定に基づき各々
の独房の形態をデザインするという力作。死刑因たちはその業ゆえ死
に至る濃密な時間を過ごす。一方で独房の廻りを行き交う人々こそが
「ただ死を待つだけ」の日常を過ごしているのではないかという逆説。
そして様々な形態を持つ独房の存在によって死というものの存在に触
れる事になる。
かつては死の存在は日常の中に身近にあった。近代化と共にそれは
希薄になっていく。日本は国際世論に反し死刑制度を継続している。
これは人権を軽んじているのではなく、むしろ逆に人の命の尊厳を(被
害者側、加害者側ともに)重んじているからである。この計画は死刑制
度に則り、死/命の重さをデザインを媒介する事によって身近に引き寄
せる作業なのだと。
模型表現や説明文の一部で主旨からずれているかなと思われる表現
があって、勿体ない。細部や一字一句まで言いたい事を適切に表して
いるかの詰めに気を配って。でも羨ましい限りの才能だと思う。
次点評価は、造形大の学生のペット動物保護施設の計画。なだらか
に広がる傾斜地にループ状の建物を浮かべた配置。もっと良くなる可
能性のある作品かと思った。円形で囲うという事は囲われた領域と外
の領域に境界が出来る訳だがその差異の設定があまり感じられない。
オープンにするのなら円でなく円弧でも良い(実際低層部分はそうなっ
ていると思われる)。傾斜地を利用しつつ円弧上のスロープ・フロアが
多層に絡んで建物とフィールドが相互に作用しあう形態もあり得たか
と。保護されたペット・動物と新たな家族の出会いの場であれば内外
にオープンなかたち、少なくとも囲われた領域内とはもう少し関係を
築いても良かった気はする。
しかし、円環の造形には作者の気持ちがこもっているのかなとも思
う。放置されたペットたちを守る場として、この建築こそが新しい家
族をかたちづくる場なんだ、という意志が感じられる。円環というか
たちの持つ求心性・崇高性と建物のスケールの大きさも相まって、強
い理念を持ったコミュニティー(例えばある種の新興宗教施設)の様に
も見える。
新潟大学の学生も、宮古島の集落の中にランダムな形態のストラク
チャーで新たな杜=子供たちの場を作る作品や、金沢の通り沿いにショ
ートシアターを点在させる作品などを次点にしても良かったかなと思
いつつ。相対的に新大の作品は`まじめ’過ぎる、で、それは
伝統的に
そうなのだけれど。
・OB会、同期も先輩も後輩も皆、活躍している様子。自分と比してデ
ザイン的にも建築技術的にも社会的にも金銭的にも圧倒的に上回って
いる、、、その現状を確認する為にこそ今回スケジュールを押しても
参加した訳だが。刺激が大きい程、自分のためになるのだと言い聞か
せて頑張ろうと思う。
(PS.ツイッターもフェイスブックもやってないんだけど、この記事を
sessionのwebページに結びつけるにはどうしたらよいんだろうか?
誰か勝手にリンク張ってくれてもいいんだけど、、)