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建築その他、日々の雑感を書き留めていきます
昨日、「長期優良住宅に関する技術講習会」を受講してきました。
これは国(国交省)の施策である「住生活基本法」のもと、
住宅政策を「量から質へ」転換するものです。
「200年住宅」(200年もつ住宅をつくろう)のキャッチコピーで呼ばれていたものが
「長期優良住宅」という言葉に代わったのだそうです。
200年かどうかは別として長期にわたって「もつ」住宅というのは
もちろん何もしないで「もつ」という意味ではなく、
新築時に躯体性能を上げて劣化対策を施すと同時に、維持管理や可変性への考慮、
さらには定期点検計画の策定までが認定基準に含まれます。
で、こうした住宅を建設しようとするとコストが2割ほど高くなるのですが、
その分を税制優遇(控除)しましょう、という事のようです。
(建設コストが2割増えるとして、それに伴って設計、申請手続きコストも増えるわけですが、、、)
個人の建築主が戸建住宅を建てる時に長期優良住宅の認定を取っても、もちろん良いのですが
むしろ、不動産デベロッパーのような人たち(分譲住宅団地、アパート・マンション)に
メリットが多いような気がします。
また、良質な住宅ストックの形成は、住宅取引市場と関係があり、
特に中古住宅市場の整備において住宅履歴情報の蓄積などと相乗して、
住宅が資産として適正に評価できる環境が整えられる目的があります。
(関連過去記事こちら)
講習を聞いていて、なるほどこのような良質な住宅ができる事は悪い事ではない、
と思いつつも、国民の過半数が年収300万以下という時代では
イコール、国民の過半数は住宅なんか建てられない訳で、もっと違うアプローチの
住宅施策が要るんじゃないの?と思っていたら、
「住生活基本法」の中には、「良質な住宅ストックの形成」「住宅市場の環境整備」と並んで
「住宅困窮者に対する住宅セイフティネットの構築」というのがあるようです。
(詳細がわからないのですが、わかったら記事に書きたいと思います)
もっとも、
「優良住宅」と「セイフティネット」の中間にこそ何か必要なんじゃないか、
と自分は思うのですが。(これは住宅に限らず社会福祉問題全般に共通だと思います)
多分、お給料を沢山貰ってる役人には、この辺の生活感というのは、
身に沁みるというレベルで解る訳もないのだと思うのですが、、、
| 建築 | 23:17 | comments(0) | trackbacks(1) | ▲
母校の大学でコンペを公募していた。
内容は、新たに設ける正門と周辺広場のデザイン、
及びアイストップモニュメント、キャンパスメインストリートのモニュメントのデザイン。
応募資格は在校生と卒業生。提出締め切りが8/31。
提案表明(エントリー)の締め切りが先週末で、自分もとりあえず申し込みをした。
締め前日の申込みで登録番号が600番台。思ったより大勢の参加で驚いた。
最優秀1点の表彰のみで、実施設計は委託されないようだし、
デザイン著作権も大学側に移転と、条件は良くない。
いわゆる栄誉と、卒業生としての思い入れと、そういったところがモチベーションか。
(あと、同窓生や現役の学生と同じ条件で競えるワクワクとかもある)
全体のストーリー、デザインモチーフが、ぱっと浮かんだというか舞い降りてきた。
ただまあ、そうした思いつきというのは具体的に詰めていくと、とたんに弱くなるもので、
まだ使えるかどうか見通しは立っていない。
普段の建築の設計では、アイデアが浮かんだとして、その有効性みたいのを慎重に検討して、
使える使えないというのを繰り返して、鍛錬させていくのだけれど、
コンペの場合は最初のアイデア一発で突っ走るのも‘あり’なのかなー、と。
これからの作業としては、モチーフを具体的な‘かたち’に落とし込む過程、
そしてその‘かたち’が実際の空間体験としてストーリーとシンクロするか、といったあたり。
ちょっと最後の過程が難しい予感。でも。ここが弱いとストーリー(物語)の強度が出ない。
ただの形のこじ付けに陥ってしまう。
いつものように時間があるようでない。なんとか‘かたち’にして応募したいと思うのだが。
PS:コンペの存在ってものを、同窓のFmaki さんから教えてもらって知ることができたのだが、
大学も、せっかくの企画なんだからもうちょっと告知PRしてくれないのかなー、と。
(自分が疎いだけ?)
せめて建築だけでも同窓会の一斉メール送信とか、して欲しかったな。
(あ、でも、こないだのスカスカの名簿じゃーなー、、、
みんな、往復はがきには返信しようぜ、 と、最も社会性に欠ける自分が言ってみる)
| 建築 | 17:40 | comments(0) | trackbacks(0) | ▲
昨日、管理建築士の講習会に長岡まで行って来ました。
設計事務所には、技術的事項を統括する専任の管理建築士を置く事が義務付けられています。
(事務所の開設者は、技術者でなくても素人でも誰でもなれます。)
自分のように個人(一人)でやっている事務所は、開設者と管理建築士が同じ人となります。
例の姉歯事件以後の一連の法改正の一つとして、管理建築士の要件も厳しくなり、
「建築士として3年以上の業務に従事した後、管理建築士の講習会を終了した建築士」
でなければならない、となりました。
で、その講習会を受けに行ったわけです。講習会後にマークシートの修了考査があり、
これに合格しないといけません。(合否は1ヶ月後にわかるとの事)
従来は事務所登録の更新に合わせて5年毎に管理建築士の講習を受ける必要が
ありましたが、改正後は、今回の講習会に受かれば、もう受けなくて良くなりますので、
‘厳しくなった’とも言えないのですが、その代わり管理建築士講習会とは別に、
全ての建築士が3年毎に講習会を受ける必要ができたので、トータルでは厳しくなった、
といえるでしょう。
講習会の内容を聴いて、一緒に行ったtetsuさんとも話したのですが
「設計事務所というのは非常にリスクの高い職業だな」と。
これは自分も常々感じていた事で、また改めて記事にしたいと思います。
さて、昨日は1日冷房の効いた会場にいて気が付かなかったのですが、
すっかり夏の気候になってますね。
昨年まではクーラーのある事務所を借りてたのですが、自宅に移転してから
自分の仕事部屋にはクーラーがないんですよね、、、
果たして、ひと夏越せるのだろうか?
| 建築 | 13:38 | comments(1) | trackbacks(0) | ▲
先日、東北電力主催の賃貸住宅のセミナーに行ってきました。
講師の先生の話をまとめると、
「大家業は価値を創造して提案する仕事である」
「空間の利用価値と、その対価としての家賃」
つまり「部屋の利用価値」と「家賃」を比べて、そこに出会い・合意があれば空室にならない。
「利用価値は日々変化していってる」
業界を取巻く環境については、
「人口構造の変化(減少)→需給バランスの崩壊(供給過多)」
それに追い討ちをかける世界的な経済不況で
「格差拡大」「可処分所得の減少」→「支払能力の低下」「相場下落」
価値の創造と提案は設計業と同じですね。
‘価値観’をどこに置くのか、という決定的な違いはあるにせよ。
不動産経営は「商売」「事業」ですので、お客さんのニーズが基準、出発点になる。
設計行為(あえて仕事と言わず)は必ずしもそうではない。
(もちろん設計にあたっては、お客さんの要望とか生活スタイルなんかについては
うんざりするぐらい細かく聞くわけですが)
経済社会環境の変化は、これは真剣に、切実に考える必要があると同感です。
| 建築 | 16:40 | comments(0) | trackbacks(0) | ▲
当ブログのアクセスが1万を超えました。(左下カウンター参照)
これはユニークアクセスの数なので、延べのPVだと多分この5倍くらいになると思います。
ブログを始めたそもそもの目的が、自分の意見・考えを整理する為の訓練の場、
という事でした。自分は文章を書くのがすごく苦手で、子供の頃から作文とか読書感想文とかが
苦痛でしょうがなかった。これは文をまとめる技術とかいう以前に、言うべき事が何も無い、
何も感じない、何も考えてない、のが原因なのですが、、、
これは表現を業とする者にとって致命的だと、まずいんじゃないかと思ったりもするわけですが、
で、不思議と歳も重ねてくると、色々と疑問だとか言いたい事だとかが沸々と湧いてくるもので、
今度はそれを上手く伝えられるようにしたいと思う訳で、
ブログというのはそうした目的には、うってつけの媒体だと思います。
これまで約300の記事を書きましたが、自分でもよく書いたかな、と。
今でも文を書くのは非常にしんどいです。自分が書きたいと欲する事しか、
わざわざしんどい思いをしてまで書きたいと思わないし、書けないです。
(仕事や学業でテクニカルに文章を書いている人は本当に尊敬する。
学生の時を思い返しても、自分は設計で卒業できたのですが、
これが研究・論文が必須だったら多分、卒業できてないと思うくらい。)
で、今でも非常に下手で読みにくい文章しか書けないのですが、
まあ、アホはアホなりに表現する事に意義があるのかなと、思う訳で、
これからも、お付き合いの程、よろしくお願いします。
| - | 12:57 | comments(0) | trackbacks(0) | ▲
巷で話題のhitomiさんのCDアルバムと写真集「LOVE LIFE2」。
ミュージックビデオのマタニティ姿とか写真集のマタニティヌードとか見れば
そりゃ美しいわな、とも思う。(hitomiさんだからって話もあるが、、)
でも、「ママになったhitomiがLOVEを歌う」みたいな売り方は、ちょっと違和感を覚える。
(そういえば昔、松田聖子も母親になったとたん母性愛みたいのを全面に出した曲を歌ってたな)
ちょっと、あざといんじゃないかと。
hitomiさんが「カッコイイ女性の代表」みたいな昔から、
この人の魅力は「母性」だなと思っていたので
変な上っ面の売り方は、して欲しくないのだ。
CD聴いてないからなんともいえないけど、名曲「IS IT YOU?」の世界から
どういった世界に進んでいってるのか楽しみではある。
で、問題なのはマタニティの方で、hitomiさんの真意はわからないけども、
世の中の若い女性のマタニティ礼賛の風潮は、どうなんだろう?
子供を授かっている時の女性は、ホルモンだかなんだか出まくりで凄く美しいんだとかなんとか。
でも、それと全く同じベクトル上で、例のコウダクミの「羊水発言」がある気がする。
妙なピュア幻想というか、信仰に近い感じ。
(若くて健康で幸せなワタシ、キレイ。みたいな)
そういう延長で、母子ベッタリな構造にもつながるのか?
(シエンタのCMは気持ち悪る過ぎる)
で、何が言いたいかというと、そういった幻想=物語が家族の‘かたち’になってしまうわけで、
という事は、これは住宅に関わる問題でもあるわけだな、と。
| - | 00:41 | comments(2) | trackbacks(0) | ▲
男女とも、いまいち盛上がりに欠ける印象でした。
男子決勝は、にわかにもつれた展開となりましたが、
それでもスコアのわりに緊迫感のようなものが、、、
やはり去年、一昨年の決勝が凄かったのか?
フェデラー、ナダルの対戦は‘ストーリー’があったし、
それ以上にテニスのレベルが高次元だった、と思う。
フェデラーの状態は2年前とかの全盛期(?)に比べると落ちているし、
この先、戻るのかな?という懸念も、、、どうでしょう。
女子は、若手が沢山出てきている割に、トップは代わり映えしないという、、
サフィーナには是非一皮剥けてもらいたい。あのフィジカルのポテンシャルが眠ったままだ。
エナンを見習え!と言いたい。
| テニス、フィジカル | 16:01 | comments(0) | trackbacks(0) | ▲
女子準決勝。
デメンティエワって人は見るたびに向上してる。
弱点だったサーブも時々エースが取れる位になったし。
この試合では特にリターンの反応が素晴らしかった。
ただ、やっぱりメンタルなのかなー、と。
全くの憶測だけど、こう言う良い家?の優等生って母親との関係に問題があるんじゃないのかな?
精神的な依存度が高いって言うか、自立しきれてないって言うか。
トラブルの時にファミリーボックスに向かって叫んだってしょうがないじゃないか、と思う。
(イバノビッチにも同じような雰囲気を感じる。)
セレナはパワーテニスかと思いきや、冷静?弱気?。まあ、場数の差でしょうか。
サフィーナはどうしちゃったのかなー?
ビーナスが強いってだけじゃないと思うんだけど、、、
| テニス、フィジカル | 13:49 | comments(0) | trackbacks(0) | ▲
展覧会ネタのラスト。
ここまで「マトリックス」や「ATフィールド/補完計画」や「パフュームの音楽」を取上げて、
建築を取巻く外部環境の背景について説明してきたわけですが、そうした感覚が建築でも
表現できないのかなーと思いまして、以前にやったコンペ案を練り直してコンセプトモデル
としてつくってみました。
■コンセプトモデル「マカロニハウス」
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舞台装置/映像装置として住宅をつくる。
内部空間に、ちょうど舞台のセットをつくるように、建築要素を配置する。各ボリュームは色々な角度で向合い、動線・経路は錯綜し、各領域から発生する気配・視線は互いに干渉し合う。その時々の人の位置、空間の使われ方、関係性に応じて位相、様相、風景が刻々と展開していく。そうし日々の暮らしの場面場面、その瞬間のありのまま、素の状態を受け入れる箱・容れものとしての住宅の存在。
内部空間が多様な風景を展開するのに比べ、外部との境界は強く拘束して計画する。3方を壁で囲み街路に向けた1方の開口部にフォーカスする。正面ファサードは内部の生活シーンを映し出すスクリーンとなる。内部で生じていた「生」の暮らしぶりはスクリーンに映像として映された途端に、どこかよそよそしくなってしまう。これはそもそも住宅・家・家族というものに、そうした虚構性が潜んでいるからだ。内部では舞台装置、外部に対しては映像装置となるこの住宅では、普段は隠蔽されている家・家族の仮設性、虚構性、物語性を浮かび上がらせる。「家族」というものは、ある脚本・シナリオに沿ってつくられた物語で、各人が何がしかの役割を演じている、とも言えるのではないか。
この建築は、もちろん戸建住宅を想定して良いのだが、一方で様々な形態の共同住宅としても利用可能である。ドミトリー(寮)・下宿、コンドミニアム、バケーションレンタルルーム、シェアハウス、グループホーム、、、等々。またSOHO、オフィスシェア、他用途併設住宅(物販、飲食、アパレル、教室、、、)としても成立するだろう。全く同じ平面、すなわちこの建築の‘かたち’がこれだけの汎用性を持ち得ているとしたら、普段我々が思っている家族(核家族、血縁による家・家族)というのは、もしかしたら沢山ある可能性の一つの‘かたち’にすぎないのかもしれない。だから、いっその事、一つ屋根の下を家族と呼んでしまえば、家族の概念を拡張できるんじゃないだろうか?ある場を共有すること=空間/時間を共にすることが家族なんだ、と
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| 建築 | 15:05 | comments(2) | trackbacks(0) | ▲
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