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建築その他、日々の雑感を書き留めていきます
展覧会前はバタバタしてまして、ブログで紹介しきれなかった分をUP。
■パフュームの音楽
テクノポップユニット「Perfume」。彼女たちの音楽を聴いていると何とも言えない
「切ない感じ」に包まれる。なんだけど同時に元気も出てくる気がする。
この‘切ない感じ’は、たぶん‘刹那い感じ’なんだと思う。
自らの儚さを自覚しながらも‘今、ここ’を生きる「私」、、、
エフェクト処理されたウォーカルは「肉」声と引き離され「私」の身体/意識のズレを
拡張する。そして繰り返すリズムと電子音の中に解体されていく「私」、、、
と同時に/だからこそ、この瞬間=刹那の感覚だけは、まぎれのない私自身の‘生’
なのだ。この世界は自分の存在に自信が持ちにくいし、この先も確固たる「私」は見つからない
のかもしれない。何にも侵されない安定した「私」がいる世界なんてのは幻想なんだ。
電子音とリズムに包まれた彼女たちは、きっとそんな事は疾うに承知なのだろう。
そうした「潔さ」で、今、この瞬間の‘生’を輝いている。今感じているこの瞬間だけは
「私」は確かにここにいるとわかる。私の存在の確からしさはそうした感覚の中にしかないのだ。
彼女たちの音楽にはこのような「現代を生きる前向きな等身大」が
表現されている。だからきっと元気が出るのだ、と思う。
| 建築 | 20:48 | comments(0) | trackbacks(0) | ▲
昨日「環境フェア2009」−−環境にやさしい家づくり展−−が無事終了。
.
ここ何週間か、これに向けた準備で忙殺と緊張だったので、
ホっとした脱力感と、それ以上の充実感、そしてまだまだやるぞという活力に包まれています。
今年はじめてエコハウス研究会に参加させてもらい、当初は不安先行(自分の力量的に)
でしたが、思い切って参加して良かったです。
熱い大先輩に煽られたり、他のメンバーの刺激があったからこそ頑張れた部分が大きかった
と思います。流れに乗っかってみるのも、引っ込みが付かない、的な意味で
良い方向に作用するのだなぁーと。(元来自分は一歩踏み出すのを躊躇しがちな性格なので)
また、自分の建築に対する考えをまとめる良い機会になったし、
それに対して周りから批評してもらうのも、それ以上に意義があると思います。
(とかく自分の方向性は独りよがりになりがちな位置にあるので、特に)
こうした思いを展来会終了後の打ち上げで、さらに強くしました。
(tetsuさんが体調不良で参加できなかったは残念でしたが)
上越で真っ当な建築論議ができる唯一の集まりではないか、と。(ちょっと言い過ぎ?)
で、企画会議中に何の気なしに言った「メンバーで設計コンペなんてやったら面白いかも」
の発言が、なんかすんなりと「やるか」という流れに自然に膨らんでいき、
「建築家とコンペで家づくり」の募集告知になっていったのですが、
昨日「もしや」と期待を抱かせるリアクションが1件あり!?。
まあ懸案事項もあり先行きは不透明ですが、もしも実現に結びついたりしたら、
これぞまさに「流れのままに、ライク・ア・ローリングストーン」で非常に面白くなるな、と。
| 建築 | 13:52 | comments(0) | trackbacks(0) | ▲
■ATフィールドと補完計画
アニメ「新世紀エヴァンゲリヲン」で描かれる概念「ATフィールド」と「補完計画」。
「ATフィールド」は誰もが持つ心の壁、自我境界、私をかたちづくるもの。
それは私を守ってくれるものであり、また私や他人を傷つけるものでもある。
「補完計画」とは、人々の欠けた心、満たされない心の隙間を埋める行為。
物語の中では「人類補完計画」として全ての人々のATフィールド/自我が消えていき
全ての魂がひとつになった世界=全ての人々の心が満たされた幸福な世界=人類の進化
が進行していく。
最後に主人公の少年は、そのような幻想的な世界を拒絶し、たとえ傷付いたとしても、
自らの意志で自分自身の‘かたち’をイメージ/想像して行くことを選ぶのだ。
こうしてみると、この物語は建築の設計そのものだ。建築の設計(特に住宅の設計)は
ATフィールドのかたちを考え、それを展開したり中和、侵食、反転したりしながら、
様々な補完計画を局所的に発動させる行為だといってよいだろう。
建築の‘かたち’すなわちATフィールドの‘かたち’=境界の定義づけによって、
そこに住む人の心の‘かたち’をつくっていくのだ。
そしてその中で、住む人が自分自身の意志によって心のかたちを変えていく事が
未来を作り出していく事になるのではないだろうか。
| 建築 | 02:36 | comments(0) | trackbacks(1) | ▲
今日から始まるNHKのドラマ。(毎週木曜、夜8時)
主演は桜庭ななみちゃん。
ソフトバンクのCM、白戸家の親戚の女の子役で、一躍話題になりました。
が、自分の一押しは同級生役で出演の足立梨花ちゃん。
去年のウナコーワのCMが非常に良かったんですが、今年は別の子に変わってしまった。
ドラマは初めてかと思っていたら、ちょこちょこ出ているんですね。知らんかった。
はたしてどんな演技を見せてくれるのでしょうか、注目です。
CMの印象ってインパクトがあるから、実際の印象と違ったりする。(たとえばガッキーとか、、)
さらにホリプロは若手がいまいち伸び悩む傾向があるので(※但し綾瀬を除く)
少し心配ですが、頑張ってもらいたいです。
| - | 13:28 | comments(0) | trackbacks(0) | ▲
■マトリックスの世界観
映画「マトリックス」では、普段、我々が現実だと思い込んでいた世界が、
実はコンピューターが作り出した「マトリックス」と呼ばれる仮想現実空間で、
その実、生身の身体は燃料電池としてコンピューターの動力源に利用されている、
という設定が描かれている。
この非現実的なシナリオが、現在の世界でもリアリティを持って感じられるのは
今現在、自分自身でも身体と意識のズレに気が付いているからだ。
「私」というモノは意識の集積でかたちづくられたものにすぎないのかもしれない。
この瞬間の感覚、感情、意識は、すぐに通り過ぎて記憶となり、
その記憶の積み重ねでしか私は私の存在の確からしさを確認しようが無いのだ。
もちろん生身の身体に伴って苦痛や快楽が生じる訳だが、それでもやっぱり、
その溝っていうのは完全には埋まらないのだと思う。
特にネット空間やメディアによって意識が拡張した現代に於いては。
(この辺りは「攻殻機動隊」の世界観とも重なる。
また、メディアによる身体感覚の拡張は「AKIRA」で描かれる。)
エコロジカルな視点では、我々人間は生態系に属しているという前提な訳だが、
(そしてその生態系への回帰幻想がエコブームの根底にあるのではないか)
物理的な肉体が生態系に在るとしても、それだけで「私」というモノが完結しているとは限らないし、
もしかしたら意識は別の系に在るのかもしれない。
| 建築 | 02:43 | comments(0) | trackbacks(0) | ▲
(とりあえず 出来た原稿から順次UP)
■はじめに <環境について思うこと>
建築で扱う環境は、建築を取巻くもの、つまりそこに住む人を取巻く外部環境、
−−自然環境、人的環境、社会環境、経済環境、情報ネットワーク・メディア環境−−
等々、多岐にわたる。
その中で自然環境は重要な要素であり、「エコハウス」はそこを発想の出発点とする。
そしてそこから、自然環境にとどまらず社会・経済制度や人間の在り方に切り込む力を
持つのだと思う。
とすれば、逆のアプローチから自然環境に至る切り口も「エコハウス」と呼んで
良いのではないか。
ところで昨今流行のスローライフや自然・健康住宅であるが、時に逃避的・退行的な
趣を感じなくない。高度成長から続く現代社会へのアンチ、疎外された人間性の回復、、、
これを私は「里山幻想」と呼ぶのだが、
こうした里山幻想的自然住宅は、あまりに「毒が無い」んじゃないか、と。
例えば環境問題をテーマとした「風の谷のナウシカ」は、毒がある=批評性があるから
名作なのだ。(ちなみに原作コミック版では宮崎駿の「毒」がより濃く描かれている。)
人間はそもそも生態系からはみ出した存在なのかもしれないし、そこに目を瞑って
単に自然に還ろうという行為は、エコではなく、むしろエゴなのかもしれない。
で、まあ、無毒な健康住宅はハウスメーカーさんにお任せするとして、
建築家の存在意義が「毒を吐くこと」にあるのならば、大いに毒づいていきたいと思う。
| 建築 | 23:04 | comments(0) | trackbacks(0) | ▲
ターミネーター4の公開を前にテレビなどで宣伝が流れている。
過去作品の放映も先日、洋画劇場で3をやっていて、今日も2があるのかな。
ところでターミネーターのように、SF物で機械やコンピューター、あるいは核兵器が
人類を滅ぼすという設定がある。
人類が自ら作り出したものによって自らの生存が脅かされる、
自分たちが道具として使っていたもの、自分たちがコントロールしていたものが
コントロールが効かなくなったり自ら意思を持つようになる、
そして人類を破滅に導くというパラドックス?的パターン。
で、機械やコンピューターってのは非常にイメージしやすいのだが、
最近自分は、もしかして実は「マネー」なんじゃないか?と思うようになった。
過去記事でも書いた、金本位制の停止=物々交換世界の終焉が
自分たちも気付かないうちに分水嶺となっていて、
「マネー」(マネー経済、金融資本主義)っていうものが、
まるで自立した意思を持ったかのように振舞って
人類を破滅へと導いてるんじゃないか、と。
自分は経済・金融小説なんてのは全く読まないから、
もしかしたら、そんな設定の近未来フィクションがあるのかもしれない。
なんて事を漠然と思っていたら、伝説の投資家ジョージ・ソロスが
CDS(クレジットデフォルトスワップ)は破滅の道具だから全面的に禁止しろ
と警告しているらしい。
自分の頭では良く解らんのだが、もともとリスクヘッジ=「保険」の意味の金融派生商品が、
景気が悪くなった時に(逆に)儲かる手段として利用されている?みたいな。
なんだか、防衛手段=ミサイル防衛システム、SDI、核抑止力のイメージと
ごっちゃになって、ますますSF的に混乱してきた、、、
(GMの破産適用の件も、GMはアメリカを代表するような会社だから、
破産なんて事になったら景気に与える心理的ショックが大きいから阻止されるだろう
みたいな意見があったけど、結局、すんなりと破産で話がまとまった。
その時にも、銀行だかなんだかのGMに融資している所が保険金をもらえるように
(わざと)潰したんだとか、なんたら、、)
| 社会、経済、投資 | 14:36 | comments(0) | trackbacks(0) | ▲
先日の日曜は、ダブルスの大会。
今シーズン初めて試合に出る。
結果は予選リーグ1勝2敗で敗退。
普通にやってれば勝てる相手だったんだが、なんか全くダメな内容だった。
(まあ‘普通に’やれるかどうかってのが鍵な訳だが)
最近、練習量は落ちてはいるものの技術的には落ちてる感はそれ程ないので、
多分、メンタル的な要素が大きかったのだと思うんだが、、
あ、でも、ゲームの中での技術的要素って面では、
突き詰めれば色々問題があるんだろうな。
試合後は反省会という名の飲み会で
ざっくばらんに、お互い問題点を言い合う。
おかげで改善すべき事柄がちょっと見えてきたかな。
| テニス、フィジカル | 16:07 | comments(0) | trackbacks(0) | ▲
インプレッサのエンジンオイルを久々に交換した。
本当はもっとこまめに交換しないといけないのだが、いかんせんお金が無いもので、、
最近はエンジンを(高回転まで)回す事もないから、まあいいかな、と。
で、そのついでにエンジンルームを点検してくれた。
すると、ラジエターキャップのパッキンだかが効かなくなっていて、圧が駄々漏れ、との事。
なので新品(1.300円位)に換えてもらった。
結果、どうしたものか低速でのアクセルの付きが良くなって、
街乗りでのエンジンのビリビリが、かなり収まった。
ラジエターキャップだから冷却水の系統で、
それが内燃機関系のレスポンスに直接的に影響するとも思えないのだが、
そういえばチューンアップのパーツでも高圧に耐えるキャップが売ってるくらいだから、
なにかしら影響があるんだろう、と納得。
この車も、そろそろ9年になるので寿命がきている部品も出てきて当然か。
ヘッドライトも片方、球が切れているんだが、普通のハロゲンでなくHIDランプなので
高いかなーと思い、そのままに。車検まで放っておこうかとも思っているんだが、
自分で交換できるものなんだろうか?エンジンルームぎちぎちだしな、いろいろ外さないとダメか。
タイヤもつるつるになってるし、車検での出費を覚悟しておかないと、、、はぁー、、、
| 車 | 16:20 | comments(0) | trackbacks(0) | ▲
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